先日、「シンギュラリティと教育の未来」というテーマのシンポジウムに参加してきました。
というのも副題が、<これからなくなる仕事、これから新しく生まれる仕事>というものだったから、とても興味を持ちました。
シンギュラリティとはお聞きになった方も居るかもしれませんが、技術的特異点というのが元々の意味で、今は【人工知能が人間の知能を抜く日】だと説明されることが多いです。
人工知能が人間の知能を抜くとどうなるか?
「基本的な頭脳労働はコンピューターがすることになります」
「単純な事務作業はコンピューターがすることになり、そこで働いている人は職を失います」
「悩みを相談すると最適解を出してくれます=今で言うグーグル検索を一瞬で全部を網羅し、最適解を出してくれる」
「人間型アンドロイドが出来、理想の恋人がそこら中にあふれることになります」
と色々な変化が訪れるとされています。
あと、人間は不老不死になるというのも大きいですね。
先日のシンポジウムでは大脳皮質にチップを埋め込み、大脳辺縁系とスーパーコンピューターのクラウドが接続されることになると言うてました。
当然翻訳をしている人も、ごく一部の専門的なことをしている人しか残らないですし、一番大きいのは教育だそうです。
これは自分も先駆けてやっていますが、オンラインスクールが当たり前化するというのです。
大阪に居て、東大の講義が受けられるし、ハーバード大学の講義も受けることが出来ます。
もちろん英語ですが、そこも優秀なコンピューターが翻訳してくれることでしょう。
シンギュラリティにより起こるメリット・デメリット
メリットは先程述べたようなこと、デメリットは一部の優秀な人しか職業に残ることが出来なくなるということです。
それ以外の人は、機械がした方が、将来的に安くつくなら、そちらが仕事のメインを取っていくことでしょう。また同様に、貧富の差が激しくなります。
経営者や一部クリエーターを除き、ほとんどの人が不要階級(言葉がきついですが、シンポジウム中で使われていた言葉です)になるとのこと。
経営者は一人勝ちするが、お金の流れも起こさないと使う人が出てこないため、勝った経営者がたくさん税金を収め、それをベーシック・インカムとして分配するだろうとも言うてました。ただ個人的には経営者の方は、儲かったお金はパナマ文書のように、タックスヘイブンの国に逃がすように思います。
という結果、一部の人が不老不死になり、大半の価値を生み出せない人は極貧生活を送る世の中になると言うのです。
人は全て善となるのか
スーパーコンピューターとクラウドで繋がった、次の人類、仮に超人類と呼称しますが、超人類は善となりえるのでしょうか?
仮に超人類全員が善となるなら、先程の「税金取られるの嫌やから海外に逃がそう」なんてことは起こらないはずで、世界から戦争もなくなることでしょう。
ただ、知能が高い=平和主義者と直結するのは危険なことだと私は考えます。
また不老不死になることが約束されているのであれば、超人類化するのも一部特権階級だけではなく、借金して超人類になってから、お金を返済していくのもありだとは思うのですが、このあたりは性善説、性悪説になるので、哲学者に論を譲るとして、大事なことは、そうやって死を奪われることで、自己実現はどうなるのかというのが一番言いたいことだったりします。
自己実現はする必要があるのか
基本的に自己実現は「さらなる高みへと行きたい」という思いであり、「死ぬまでに人がしたいこと」であると思っています。
死を奪われると、死ぬまでにしたいことというのが、限りなく先延ばしにされてしまう可能性もある一方で、逆に人は自己実現を極めたい欲求を高めると思っています。
なぜなら、自己実現欲求より以前の欲求は人類の超人類化によりほぼ満たされてしま
うからです。
俗な言い方をすると、
【他にすることないから、自己実現し、悟りを開こう】
そんな境地になるのではないかと予想しています。
ただし全ての人間が善ではないので、世界を混乱に陥れたい、そんな自己実現を持った人も現れる可能性もないとは言い切れないのですが・・・
ただいずれにしても、「自分の本当にしたい欲求」というものに関心を持つことは間違いないと思います。お金も知能も、時間も山ほどある状態になったら、遊ぶにしても、知的遊び、つまり自己実現という発想にならないはずはないのですから。
ちなみにシンポジウムでの結論は、「この先の仕事は何が生まれ、何が無くなるか分からない(無くなるものは簡単な知的労働と明確に言うてましたが)から、常に学び続けることが大事」という至極まっとうな答えに落ち着いていました(笑)
シンギュラリティ到来が2045年だと言われています。
あなたも今から少しずつでも自己実現を極め、一足先にシンギュラリティ世代になってみませんか?